テレビディナー

ジャニーズのことを、おてがる、おきがる、かんたんに。

six tones結成を聞いてから思ってきたこと

数日前になりますが、クリエC公演無事終わりましたね!KAT-TUNを追っていたわたしにとって激アツなセトリでした。

まさか愛コマ来るとは思わなくて、レポ読んでびっくり。それと同時に、重い曲から始まるのね!とも。笑 アンダルシアはカウコンもそうですが、2004年SUMMARYを思い出してグッときてしまいます。赤スーツだから余計に…!サディラブもびっくりでした。少クラでやってほしいなぁ。見たいなぁ!

 

さて、なぜブログを書くことにしたかといいますと、バカレア組に正式なユニット名が付けられたからです。区切りになるのかな、と思いまして。そしていろいろな気持ちがありまして。ユニット名がついたこと、ユニット名のことなど、5月1日以降で思ったことを素直に書いていきます。

聞こえのいいことばかり書いてくわけではないです。でも、6人を応援していくという決意が固まったので、ここ数日で思ってたことは文字にしてしまいます!中に溜めておくとモヤモヤが残ってしまうので。前提から書いていくので長くなるかもしれないです。語りたがりでほんとにすいません!

北斗担を名乗り始めてまだ1ヶ月も経っていない、基本的にほくじぇ大好き人間の文章なのでいろいろボロボロかと思いますが笑、こういう人もいるんだなーくらいのテンションで読んでいただけるとありがたいです!

まさかの7000字超えにびっくりしています!笑 長いです!

 

一応目次を!こんな感じのこと書いてます。(2015050812:10追記)

  1. バカレア組と自分の距離感
  2. six tones結成時の心の動き
  3. うれしさとモヤモヤと
  4. 結局、北斗くんのいる場所が全て
  5. six tonesへの気持ち

 

 

◆バカレア組と自分の距離感

わたしは松村北斗くんを応援していて、先日「北斗担」と名乗る決意を固めたのですが、北斗くんをちゃんと認識したのは2014年のことでした。ただ、バカレア組の存在自体は知ってました。ジャニーズとAKBが共演、しかも映画化ってことでTVでもよく流れてましたからね。

個人個人では知ってたかなぁ。じゅりくん筆頭に。しんたろーくんはスノプリ、高地くんはスク革、京本くんは植草くんと歌ってたよね、みたいな。でも、誰がバカレア組なのかまでは知らなかった。そんな感じです。

 

わたしが北斗くんを知ったときは、確かそこまで括りとかなかったと思います。ほんとにごちゃまぜといった感じでしょうか…すいません、知った当時はまだドル誌にも手を出してなかったので、推測して述べてます。でも、昔みたいにユニットとかがたくさんあるわけではないんだなーと驚いた記憶はあります。

 

そういった状況の中、ツイッターを見てみると「バカレア組に戻してほしい」といった旨のツイートがたくさん存在していました。しかし、リアルタイムでバカレア組を追っていなかったわたしはその括りに正直思い入れがなく、そういったツイートを見ても、「なるほど、やっぱりバカレアのときから応援している人はそう思うんだな」と感じるにとどまっていました。

 

もちろんそういった意見を否定するつもりはなく、だからといって肯定するにも至らず、本当に「なるほど」といった感じです。たぶんこれは、入るきっかけがタイミングが大きく影響しているので、仕方ないことかなと思います。その代わりほくじぇにはこだわっていたなぁ…。

 

きょねんの年末くらいからゆるーっとバカレア組で集まるようになって、少クラでも歌うようになって、そしたらクリエも一緒にやることが決まって。どれもこれも、 わー北斗くんだー、という気持ちで見てました。ずっと。

 

 もちろんバカレア組のパフォーマンスかっこいいなと思ったりもしたけど、それと同じくらい運命Girlとかも好きだしソロだって好きだし、結局わたしは北斗くんのいる場所が、空間が好きなんだなと思ったわけです。

 

でも、ジェシーくんとパフォーマンスしているところが見たいなぁという気持ちはずっとありました。それくらい、二人で歌った『キミハカルマ』がわたしに衝撃を与えたということですねぇ…。だから、バカレア組で集まるとき、6人ということに喜んでいたというよりも、ほくじぇ一緒だー、とそういう喜び方をしていました。

 

◆six tones結成時の心の動き

そして、5月1日バカレア組に『six tones』という名前がついたことが発表されました。知ったときはとにかく驚きましたし、うれしかったです。同時に安心しました。とりあえずは北斗くんもユニットに属することができたんだと。

 

ずっとジャニーズは好きですが、ジャニーズJr.という肩書きしか持たない人を応援するのは初めてのことでした。KAT-TUNもエイトも結成後からだったし、NEWSも結成時からだったし…。だから、単体である人を応援することに不慣れだったんですよね。

 

ジュニアのユニットが絶対じゃないということはわかっているし、なんならグループとしてデビューした後だって絶対じゃないということも経験してきたからわかっています。でも、ほっとしました。一人で、ジャニーズの世界に佇む北斗くんを見ていて、彼を取り巻く環境に、そして環境が引き起こし得る未来に不安を抱いていた自分が喜んでいたんだろうなと思います。

こんな不甲斐ないおたくで、北斗くんに申し訳なくなるなぁ…。北斗くんが意志の強い人だと思っているからこその不安というか、なんというか。杞憂だったなと今は思いますけどね。意志が強いからこそ、なのに。

 

そして、 北斗くんとジェシーくんが同じユニットになったこともうれしくて、安心しました。二人のパフォーマンスに心惹かれて好きになったので、それをこれからも見られることがすごくうれしくて、夢のようでした。好きになったときは二人とも離れていたので、そのときすごくガッカリしたことを思うと。(とはいえ大して長くもない時間ですし、本格的に転がり落ちたころに少しずつほくじぇが復活してきたので、大層なこと言えた身分じゃないですけどね。笑)

 

◆うれしさとモヤモヤと

そんなこんなで、バカレア組が正式なユニットになったことよりも、北斗くんがユニットの一員になれたこと、ほくじぇが一緒のユニットになれたことに感情が動いたので、少し落ち着いてくるといろいろ考えるところもありました。

本当にこのメンバーでいいのかな、とか。もう少し混ぜてみてもよかったのかな、とか。思わなくはなかったです。

それこそ、ドリボとか。ガムシャラで北斗くん、ジェシーくん、たかいとくんが一緒にいるとき、その光景がすっと目に馴染んできて、「おっ?」と思ったんです。「あれ、もしかしたらここに、しょうくんや廉くんがいてもおかしくないのかも…?」と思ったりもしたんです。だから、バランスとか度外視で完全に個人的趣味でドリボ+ほくじぇ、見てみたいなぁと思っていたんですよね。単純な興味です。

 

このメンバーでいいのかな、というのは一度離したくくりをもう一度戻す意味って…?と少しばかり疑問を抱いた自分がいまして。バカレア撮影に至るまでのこと、その後の数年の話なんかはリアタイで追えてないどころの話ではないので、踏み込んだ話は全然できないですしするつもりもありません。

ですが、なんだか、もう一度戻す意図というものが掴みきれず…。北斗くんと京本くんが「バカレアに未練はなくなった」という話をしていたこともありましたしね。人の気持ちというのは変わるものですし、わたしはその発言にこだわりたくありません。あくまでその時の気持ち、発言であって、今は分かりませんからね。ただ、そういうのがうっすらと思い出されたりはしました。

 

結局、もうちょっと混ぜてみてほしかったなーということなんだと思います。ユニットにするなら、もう一度いろいろなことを考えて組み直してもよかったのでは…?と。ちょっとした違和感のようなものが、最初はあったのが事実です。 人気があったり能力があったりするJr.が多いなぁと思っていたり、バカレア組にそこまでこだわりがなかったからこその意見かもしれません。安井くんや増田くん、諸星くんなんかもすごくいいよなぁと思っていたり、チーム羅もよかったなぁと思っていたり…。

 

そして、20歳前後のJr.がユニットを組むって軽いことではないと思っているので、ちゃんと組む前にもっといろいろな組み合わせを見てみたい…と思ってしまう自分がいました。まぁ、このへんはJr.沼にハマってから日が浅いという時間的な問題が大きく関わっていますよね。きっとこれまで何度も何度もいろいろと組み合わせてきたんだろうなと思いますし…、わたしの勉強不足ということでご勘弁を!知らないことがありすぎて申し訳ないです。

 

当初は「北斗くんがユニットに入った!しかもほくじぇが同じユニットでうれしい!でもほんとにこれでよかったのかなぁ…」という思いがどこかでずっとグルグルしてました。一方で、「やっと正式にユニット組めたんだから早く応援する心構えにならなければ」という焦りもありました。ストレートに喜びきれない自分がいるのをわかっていて、でも北斗くんにとっては喜ばしいことなんだからわたしも祝福しなきゃいけないと思っていて…。心から「うれしい」と言えていないなぁということを感じていました。「うれしい」と言い聞かせていたというか。

 

◆結局、北斗くんのいる場所が全て

でも、レポを読ませていただいたり自分の中でいろいろと考えていくうちに、少しずつ心の中が整理されていくのを感じました。

そして最終的に、北斗くんに幸せになってほしい、というところに行きつきました。北斗くんにとっての幸せって何だろう、なんて一おたくが考えたところでわかりません。でも、きっと彼はジャニーズの世界で生きていく決意をもうとっくに固めていて、デビューを夢ではなくて目標として捉えているんだろうなと思ったんです。

そう思ったとき、ゆるーくだし時間だって短いけれど、活動しているところを一応見てきてはいたのに、全然見られていなかった気がして反省しました。北斗くん、しょーもないおたくでほんとに申し訳ない!

 

それはさておき…。デビューを目標として捉えているなら、その努力が報われることは幸せのうちの一つになるのではないかと思って。目標を達成するために努力を積み重ねていく場所が『six tones』ならば、北斗くんはもちろん、ユニット全体を応援することが必要なんじゃないかと思って。

 

『six tones』に北斗くんがたどり着いた経緯なんてわたしにはわかりません。でも、『six tonesのメンバーである』という事実はちゃんと存在していて、そしてその事実は北斗くんの決意の表れでもあると思うんです。それなら、その地面が少しでも強固なものになるように、その場所がずっと続くように、しっかり支柱として応援して支えなければと考えるようになりました。その場所をより高いところへ押し上げるには、ファンの応援だけではなくて彼ら自身の努力や成長が不可欠ですが、応援なくして上昇はないと思っています。

 

こうだったかもしれない、ああしていたらよかったのでは、というわたし個人の考えは、北斗くんの決意を前にして何の意味も持ちません。彼のいる場所が全てです。そして、わたしは北斗くんを、そしてsix tonesを応援していくことに決めたのです。

 

北斗くんが上げ下げされてきたことは知っているので、解体のことは考えたくありません。地に足つけて、全力で仕事に取り組める時間がずっと続いてほしいと思っています。Jr.のユニットは解体される可能性を孕んでいる存在ですが、最初からそんなことを考えたくないです。『今』を見つめていたいです。

 

◆six tonesへの気持ち

「応援しよう」と決めてから、ふわふわとしながら彼らの周辺を眺めていました。いろいろな声も拝見しました。なるほど、当たり前だけどやっぱりいろいろな人がいて、いろいろな考えがあるんだよなぁと。

 

パフォーマンス面であったりユニットそのもののことであったり、きっと不安は挙げ始めたらいろいろ出てくるのでしょう。本人たちだって感じているはずです。というか、正式にユニットを組んだばかりなのだから課題や不安はあって当然だと思いますし、感じていなかったら困ります。全員で切磋琢磨して、一人一人がどんどん成長して、もっと個性を磨いて圧倒的というほどの存在にならないと埋もれてしまう。

 

今まではバカレア組という『くくり』でしたが、もう6人はsix tonesという『ユニット』なので、課題はしっかりと直視して改善していく必要がありますし、常に上を見ていてほしいです。向上心だけは絶対に忘れないでほしいし、「次はない」というくらいの気持ちであらゆる仕事に取り組んでほしいし、ギラギラしていてほしいし、いつだってトップを目指してほしい。

そうする中で生まれてくる熱量は、きっと人を惹きつけることができると思うので。それと、いろいろな意味でもう一人ではないということもちゃんと意識してほしいなと、思っています。

 

正直、six tonesにすさまじいほどの魅力を感じているかと聞かれて、迷わず首を縦に振ることはまだできません。生で見たことがないというのもあるかと思いますが。でも、彼らの関係は雲のようなものから、両手を握りあって運命を共にするものになりました。いろいろなことを一つ一つ積み上げていけるようになりました。(バカレア組だったんだから積み上げはゼロじゃないと思われるかもしれませんが、わたしはゼロだと思っています。それは実際の話ではなく、気持ち的な部分の話で、です)。

 

そうなったことで、きっと今までとはまた違った彼らを見ることができると思うんです。好きになっていく予感がします。というか、すでに好きになり始めているのを感じます。

 

成長して、化学反応を起こして、進化して、また成長して…って、特に化学反応を起こすという部分は、一緒に上を目指し続ける関係になったからこそ期待できる部分です。6人で同じ目標を共有できるようになったことは大きいはず。six tonesのこれからにワクワク、ドキドキしています。

これからどういう色を作り出してくれるのか、どんな音を奏でてくれるのかすごく楽しみです。ファンの期待を良い意味で裏切り続けてくれるような、想像の斜め上をいくような、そんな6人の姿が在るといいなぁ。

 

少しずつ、少しずつ実力を付けてコンサート会場を広げられるようになって、この人たちがデビューできないなんておかしいと思わせるくらいになって、いつか東京ドームでコンサートをしてほしいです。そこで、six tonesの魅力を爆発させてほしいです。見せつけてほしいです。

 

なんでドームにこだわるかというと、6人時代しかチェックできてないのに言うのも僭越ですが、KAT-TUNがドームで行っていたコンサートが本当に好きだからです。彼らのコンサートはお金を払って見る価値があるし、どの席でも楽しめました。アリーナ、スタンド、天井席をそれぞれ経験したことがあるけれど、等しく満足できたんです。「ファンサなんていらない!作り上げた世界観をどーんとぶちまけてる現場に立ち会えることが幸せ!」と思えたのも、それだけのパフォーマンスを見せてくれたKAT-TUNに出会えたからなんだろうなぁ…。

 

その経験が忘れられないから、どうしてもsix tonesにはKAT-TUNのようになってほしい、というのもおかしいですが、ファンサがなくても席がどこだとしても楽しめる、満足できるコンサートができるユニットになってほしいなぁと思ってしまうんですね。個人の好みを押し付けようとしていてごめんよ、six tones…!重ねているわけではないしsix tonesだけの色が出来上がっていくのをすごく楽しみにしていますが、方向性として、です。

 

ちょっと説明が長くなりました…。

東京ドームを使いこなせるほどの力を付けるのにはまだまだ時間が掛かると思うけれど、絶対にできると信じています。ジェシーくんの「先輩たちを追い越せるように頑張ります」という力強い言葉(応援していく決心を固める決定打になりました)は、6人全員の意志であり覚悟だと思っているので。一人も欠けることなく、一歩一歩確実に地面を踏みしめながら、デビューを目指して駆け上がっていってください。応援しています!!!!!!

 

six tonesと聞くと少しだけ胸の奥がざらつく感じだったり、気恥ずかしさを覚えますが、そういう感覚もまだ聞き慣れていない今だからこそですよね。不安があったり、少し厳しい目を向けてしまったり、そういうのも結成時に立ち会えたからこそかなぁ、なんて思ってます。いろいろなことをまるっと楽しみながら6人のことを追い掛けていきたい所存です。

 

蛇足ですが、きのうの少クラで披露した『3D Girl』かっこよかったですね!クリエで見られた人、ほんとにうらやましいです。何度も見たくなってしまう。やっぱり、次第にsix tonesに惹かれてきているなぁ…!「six tonesはこういうとこがいいんだよ!」とかいうブログを書く日もそう遠くないのかもしれませんね。

さらに蛇足ですが、キスマイもいいけれど、KAT-TUNも歌ってくれるとうれしい!笑『LOVE or LIKE』とかどうですかねぇ、six tonesのみなさん。

 

 

ではでは!

 

 

『キミハカルマ』の衝撃―松村北斗くん、ジェシーくんとの出会い

お久しぶりです。

突然ですが、わたしは北斗くんの担当を名乗ることに、きのう、決めました。

2009年ごろまではYJの人たちを箱推しをしていたので担当を名乗るのは10年ぶりくらいのことで…!結構緊張するもんだな、と思います。

担当ってなんだろうなぁという疑問が自分の中で解決していないですが、今の自分はきっと「北斗担」というカテゴリーに頭まですっぽり埋まっていると言ってもおかしくはないと思ったので、思い切って!

 

ということで、ツイッターでは何度も言ってきた気がしますが、どうして自分が北斗くん担になったのかということを書き残しておこうと思います。

たぶん2回くらいに分けます。きょうは初めて北斗くんを見たときのことを書きます。

きょうはいつにも増してゆる~っと書いていくつもりなので、よろしくお願いします。

 

2014年1月1日

カウコンで年を越すのはもはや恒例だったので、ガチなジャニおたでなくなってからもカウコンだけは必ず見てました。録画もしてました。

知っている人たち、知っている曲ばかりだから単純に楽しいんですよね。だから14-15のカウコン中継なかったのは残念でした…。もっとも、年越してからはマッチさんのステージだったようなので…もにょもにょ。

話が反れましたが、そういうわけで2014年も普通にカウコン見てたんです。で、そしたらその後に『YOUコントしちゃいなよ』が始まり、ラブホリ先輩こと中島健人くん主演の『美絵流学園』というコントが流れてきました。

「おいおいどうしたジャニーズ攻めてきたな!」と思いつつ見ていたら、ジェシーくんが出てきたんです。

「かっこいい子だなー」。単純にそう思いました。背が高くて、ド直球のイケメンではないけど、なんとなく雰囲気があって。

キラキラ王子様・内くんが一人だけガチでコントしてることに時の流れを感じつつ(そしてまだ内くん制服着ても許されるのか…!と感動しつつ)、全部見終えました。健人くんの入り込み方に感動!笑(余談ですが、彼のアイドルっぷりは本当にすごいです。ジャニーズ事務所のアイドルっぽさというのはいろいろあると思うけど、そこに新しいカテゴリー作った感じすらあります。見ていて楽しい人ですよね)

と、まぁその日はそれで終わったんです。

それから特に何をするでもなく、5ヶ月が過ぎました。

 

2014年6月

ある日、なぜか分からないのですが唐突にBLコントを思い出しました。それから、あの時出ていたジェシーくんっていう子かっこよかったなぁということも。

今のJr.がどうなってるか全く知らなかったわたしは、とりあえずYoutubeに頼ることにしました。少クラどうなってるのかなとか、ジェシーくんってどういう子なのかなとか気になったので、まず動画にあたってみようと思いまして。

そして、その時一番最初に出会ったのが、『キミハカルマ』をジェシーくんと北斗くんという子(当時は北斗くんのこと知らなかったので、そういう認識でした)が歌っているらしい動画でした。

「へぇ、『キミハカルマ』を歌うジュニアがいるのかぁ」とクリック。初めて見るジェシーくん、そして北斗くんの動画です。

 

再生が始まり、まず本当に二人だけということに驚きました。バックもつけていないのか!と。今推されてるふたりなのかな?なんて思ってみたり。そして、キンキの曲を二人で歌うとなると思い出すのはじんかめで(じんかめが歌ったボニバタ、ひらひら大好きで…!)、おおお!と興味が一段と湧きましたね。

ふたりとも背が高くて顔立ちがあっさりしていて、すごく雰囲気があるけど、ジャニーズっぽさはないし誰しもが認めるイケメンといった感じではない。ビジュアルだけを見た時の感想がこれでした。

そんなことを思っていたら、ジェシーくんが『きみとぼくのなかで』を歌い始め、その歌声にびっくり。

えっ、今のジュニアってこんなに歌うまいの…!?と。

どうしてもジュニアが歌うとなると音を追うだけになってしまいがちな印象があって、もちろんそれは経験や年齢も関係しますし、成長を追えるという点でも全然悪いことではないのですが、だからこそめちゃくちゃ驚いたんです。

声に感情が乗ってる、語尾に余韻を持たせている、すごい!と、一瞬でジェシーくんの歌声に惚れ込みました。素敵な歌声だなぁと心底思ったんです。ちなみに今でもジェシーくんの歌声、すごく好きです。落ち着いていて、ジェシーくんの歌声があると曲がピシッと締まる感じがしますよね。

 

そして、次に北斗くんが『ha-ha』を歌い始め、まず「ええええ赤西くんの歌って歌っていいの!?」と選曲に驚きました。なんとなく、歌っちゃいけないんじゃないかと思っていまして。曲の権利うんぬんを抜きにしても感情的な部分の話で。それと、『ha-ha』を選曲してくれるジュニアが今、いるのか!と感動もしましたね。YJ大好き芸人としては、YJの曲歌ってもらえるだけで歓喜です。

歌声自体にジェシーくんほどの驚きはありませんでしたが、でも北斗くんも音を追うだけじゃないんだなぁというのをちょっと感じました。『ha-ha』は感情を込めてとかそういう感じじゃないので、そのときは確信持てていませんでしたが。

振り付けがちょっとセクシーな感じで(ジェシーくんが北斗くんの後ろに立って身体を包み込むようにするあれです)、へぇ~今のジュニアはこんな感じの振り付けもこなすのね!と、ボキャ貧で申し訳ないですがとにかく驚きの連続でした。

あ、でもセクシーな感じだけど媚びてるようには思わなくて、それが当時のわたしには不思議でしたね。上品な感じと言えばいいのでしょうか。あんなに身体を近づけているのに腐売りとはまたちょっと違う感じを受けました。なんでだろうなぁ、ってそのとき理由まではすぐにわからなかったんですけど。(後になってなんとなく自己解決できました)

 

で、ついに二人が『キミハカルマ』を歌い始めたんです。

ステージ上には二人だけ。そしてそんな二人を青い照明が照らしているのが印象的でした。今度はちゃんと北斗くんも歌っているという感じで、やっぱりこの人も音を追うだけじゃないんだなと確信を持ちました。ジェシーくんとはまた違った種類の素敵な声だなとも思いました。

ジェシーくんの声が切なさを持っているとしたら、北斗くんの声は優しさを持っている。そんな感じです。

そしてサビに差し掛かり、二人のユニゾンを初めて聞き、ビビビ!ときました。

違った声で、しかもめちゃくちゃキレイに合わさっているわけではないのに、しっかりと結び付いて一つの音になり、耳にすっと馴染む。そんな感じを覚えました。

理由なんて分からなかったし今でも分かってないです。でも、何度も何度も聞きたくなってしまって、頭から離れなくて、とにかく、「好きだ」とそう思ったんですよね。理屈じゃ説明できない、もっと感情に近い部分、それも奥深くに二人の歌声やパフォーマンス、そして醸し出す雰囲気がグサっと刺さるのを感じました。

もちろん各々のソロの段階で心を掴まれていましたが、「なんなの、この子たち」と思ってしまうほどの衝撃を受けたのは『キミハカルマ』を歌ってからです。

それからはとにかく何度も何度もその動画を見ていました。どこにどんな感情を込めて歌っているか知りたくて、聞きたくて、止まらなかったです。

その後関連動画を夢中で見て、『深紅の花』や『Strategie』にも出会いました。この2曲は『キミハカルマ』とはまた違った方向ですごく好きなので、別の機会にブログ書ければいいな、と思っています。

 

それはさておき、そういうことでわたしは二人のパフォーマンスにめちゃくちゃ心惹かれました。こんなことを思うのはじんかめ以来のことで、2014年時点で考えると実に10年ぶり!二人のことが気になって仕方がなくて、また二人のパフォーマンスが見たいとそればかり考えていました。

いろいろ調べていたら、どうやら「ほくじぇ」という呼び方が定着しているらしいことを知り、じゃあ今も二人で推されてるのかなとワクワクしたのですが、そんなこともなく。なんならシンメ解体されていると分かり、すごくがっかりしたのを覚えています。わたしが見た映像の数々も2013年に放送されたものだと、すぐに分かりました。

 

そして、ずーーーっとほくじぇのことが気になりながらも、特に積極的に活動することもなく10月を迎えました。ガムシャラも知らなかったなぁ…。

ここからは北斗くん担になるまでの経緯の話になるので、別の記事にします。

余談ですが、ほくほく北斗を知ったのは6月末くらいでした。ほくじぇ二人のパフォーマンスに惹かれていたのでどちらの担当になる未来もあったと思うのですが、ほくほく北斗との出会いもきっと少なからず、わたしが北斗くん担になったことに関係しているんだろうな…と思います。笑

 

わたしがJr.にハマり、再びジャニーズ界隈に足を踏み入れたのはほくじぇがきっかけです。ほくじぇの『キミハカルマ』を見ていなければ、きっと北斗くん担にもなっていなかったと思います。

最近は、ほくじぇがまた二人で何かパフォーマンスをしてくれるのを密かに楽しみに待っている感じです。デビューも二人同じグループでできたらいいなぁ、って思ってます。ほくじぇそのものへの語りはまた違った記事で…って、本当に書けるのかな自分。笑

 

自分が再びジャニーズにハマるきっかけになったことは忘れたくないと思って書いた記事なので、ごちゃごちゃとしていて何の面白さもないことには目をつぶっていただけるとありがたいです。

そして、あんまりオススメしちゃいけないと理解はしているのですが、ほくじぇの『キミハカルマ』オススメなので、見たことないよという方はもしよろしければ、ぜひ…!笑

 

それでは!

 

 

『私のオキテ』はジャニーズアイドルの物語―対ジャニヲタ、そして世間

きょうはチキンバスケッツ*1の『私のオキテ』について書こうと思います。

この曲って2年くらい前の曲なんですね。いまさら感が本当に否めないですね。笑

きのう聞いてビビビときてブログ書くことにしたので、簡単にって感じですし(まさにテレビディナー的ですね)考えにも整合性とれていない可能性大ですが、よろしくお願いします。以下の2つでいろいろ書いていきます!

 

  • 「ブスって言ったら殺すから」の衝撃と、絶対的な自信

  • 担降りの物語、そして世間への怒り

 

最初に歌詞を貼っておきます。

私のオキテ - チキンバスケッツ - 歌詞 : 歌ネット

 

ご覧になっていただくとわかると思いますが、語尾が「~たいの」「~ないわ」などと女性的なものになっています。

これは、チキンバスケッツが“男の娘”集団であるという設定にに由来していると思います。すいません、『49』見たことないので断言できませんが…!

そのため、この歌詞は女性目線の歌詞かなと解釈できます。もちろんそれは間違えではないと思います。メインストーリーは、強気の(もしくは強がっている)女性が男性に対して抱いている複雑な乙女心、というにはかわいすぎる気もしますが、そういったところでしょうし。私がMVを作るとしたら、確実に女装させてバブリーな感じで作ります。笑

でも、「ブスって言ったら殺すから」という歌詞でサブストーリーがあるのではないか、という考えに至りました。

そのサブストーリーというのが、ジャニーズアイドル対ジャニヲタ、世間というものです。

なんじゃそりゃ、って感じですよね。笑 自分自身でもうまく言えた気がしてません。とりあえず、ということで。また、ジャニーズアイドルという語感の悪さが気になる方もいらっしゃるかと思います。ですが、ここでは『ジャニーズ事務所所属のアイドル』ということを強調したいのでご容赦ください。

ではでは、ここからは『私のオキテ』をジャニーズアイドルに寄せて考えていきたいと思います。

 

1.「ブスって言ったら殺すから」の衝撃と、絶対的な自信

最初に言いたいのは、「ブスって言ったら殺すから」という歌詞をジャニーズに歌わせることにすごく驚いたということです。容姿を売りにしているアイドルが、「ブス」と貶されることに対して「殺すから」という過激な文句で釘を刺すという構図。男性アイドルに特化し、確固たる地位を築いているジャニーズ事務所に所属するアイドルたちが歌っているという事実。なんて挑戦的なのか!とドキドキしました。

しかも、チキンバスケッツのセンターはSexy Zone佐藤勝利くん。彼の顔は正統派イケメンで本当に整っているなと思うのですが、そんな勝利くんがセンターで「ブスって言ったら殺すから」と歌うことの衝撃といったら!否定されることがないであろう容姿の彼に歌われると、なんだかもうひれ伏したくなってしまいますね……ああ……

 

そして、衝撃と同時に絶対的な自信も感じるわけです。「俺たちのことブスって言うの?言うわけないよね」という、ジャニヲタへの態度。ジャニヲタが自分たちを「ブス」だと言う可能性が彼らの中に少しでも存在したら、「殺す」なんて歌えないんです。「ブス」だと言う可能性がゼロだから、彼らは「殺す」という可能性もゼロにでき、歌える。ちょっと論理の飛躍も感じられますが、これが「ブスって言ったら殺すから」という歌詞から絶対的な自信を感じた理由です。

この歌詞からは高圧的な感じすら漂うのですが、それでも歌詞に納得してしまうのは彼らがジャニーズ事務所に所属するアイドルだから。もちろん9人*2もいればそれぞれの容姿に好き嫌いは出てくると思いますが、ここではジャニーズ事務所に所属している人はカッコイイ人が多いから所属している人はみんなカッコイイ、という帰納的な考えで話を進めました。

勝利くんには個別で触れてしまいましたが、彼がこの歌詞を歌っていることに対して一番の驚きを覚えたのでご容赦ください…。

 

2.担降りの物語、そして世間への怒り

「離婚の危機」とか「男女の不条理」とか、これまたすさまじい歌詞が並ぶな…と思った2番。ジャニーズのアイドルが歌う曲なんでしょうかね?笑 キラキラしたアイドルたちが人生のドロドロとしたどうしようもなさを歌うという、チグハグな感じは好きですが。

サビ前までの歌詞の内容としては、ある女性が母になった後、母だけではなく女性でもあり続けようと努力したのに、旦那は他の女性になびいてしまい離婚の危機に陥るといったもの。努力が報われるとは限らないという人生の、男女の悲しさですね。

これが担降りとどう関係するかというと、歌詞の主体をジャニーズアイドルに置き換えていただければすぐにわかっていただけるのではないかと思います。そのままです。

自分に期待されているであろうことを汲み取り、自分をファンのために作り上げたのに、ファンは離れていく。求められていたはずのものを作り上げた、ファンの期待に応えたはずなのに、ファンは離れていく……こういうことを書いていると胸が痛んできますね…。偶像であることから生じる苦しさというのでしょうか。(先日、シゲさんの『ピンクとグレー』を読んだので、芸能人について考えるとどうしてもペシミスチックになりがちな今日この頃です。)

くどくどと解釈を書こうと思ったのですが、言葉が出てこないのでここについては飛ばします。視点の転換が全てかなと思うので!言葉足らずですいません。

 

そして、世間へ怒りというのは「人の不幸が蜜なんて 人間をやめなよ」という部分を見て考えたことです。この歌詞、すごく刺々しいですよね。

アイドルのスキャンダルは今も昔も絶好のネタとして扱われています。私がパッと思い付いたのは2005年ごろのKAT-TUNですかね。ごくせん2を境にさまざまな週刊誌やゴシップ紙などからいろいろと書かれるようになり、世間のネタになりました。赤西くん亀梨くん蒼井さんの話とか、亀梨くん小泉さんの話とか、赤西くん上原さんの話とか、赤西くん西山さんの話とか懐かしいですね…本当かどうか知らないし覚えてないけど、じんかめ追い掛けられすぎだな……。笑(そういえば、チキンバスケッツの中にも週刊誌に掲載されたことのある人がいますが、彼らを批判する意図があってこの話を出したわけではないので、そのことだけご承知おきください。)

週刊誌に書かれるということは真偽を問わず、アイドルにとって致命傷になり得たりイメージダウンに繋がったりする場合もあり、「不幸」なわけです。一方で世間は、週刊誌に書かれたことを、真偽を問わず嬉々として話のネタにします。つまり「蜜」なわけです。苦しみながら虚像を演じているのにそんな自分の「不幸」を「蜜」として楽しんでる世間が許せない、というアイドルである彼らのドロっとした怒りが集まった結果がこの歌詞かなと思います。怒りが集まり、そこに苦しみまで乗せられたからこそ「人間をやめなよ」という過激な提案になってしまうわけです。また、アイドルが歌うからこそ「人間をやめなよ」にすさまじい怒気を感じるのかもしれません。

 

余談ですが、この歌詞の少し前にある「一寸先は闇だから」はすごくジャニーズJr.っぽいです。ここの部分は勝利くんが歌っていることより、ジュニアの人たちが歌っていることで説得力が増しています。そんな状況でも人生懸けて、少なくとも青春懸けてやってるのにそんな俺たちの「不幸」を楽しむなよ、という風にも読み取れる気がしてきました。怒りもあるかもしれませんが、悲しいからそんなことはしないでほしいと、ファンに対して哀願しているようにも感じられます。

 

 

駆け足できてしまいましたが、こんなところで!

『私のオキテ』、デビュー組とジュニアが一緒に歌っていることで解釈もごちゃごちゃになってしまいました。論理も飛躍しまくりだった気がします。すごく読みづらかったと思います。すいません。

がさっとまとめてしまうとするならば、やっぱりこれは『ジャニーズアイドル』の物語なんだろうなと思います。『私のオキテ』、結構好きです。神宮寺くんの女装がが地味にかわいいなぁと思います。笑

もし認識が足りていないところなどがあれば教えていただけると幸いです。

ではでは!

 

 

 

*1:2013年10‐12月放送のテレビドラマ『49』内のユニット。主演の佐藤勝利くんとジャニーズJr.数名で結成

*2:ドラマ本編では6人だったようですが、少クラで歌っていた人数でカウントさせていただきました

『離さないで愛』の「あたし」を考える―声の効果、映像が与えるさまざまな可能性

こんばんは。しろみです。

クリエは外れました…キャパ600の本気を見た。

さてさて、きょうは亀梨和也離さないで愛』についての感想や考察を書きます。

  • 声の効果ー「あたし」は外から内へ
  • 「あたし」は女性?―映像が与えるさまざまな可能性

以上の2本立てでいきます!ちょっと長いかも…?

離さないで愛』はKAT-TUNDead or Alive』の初回版2に収録されているので、お買い求めになっていない方はぜひ!(まだ買えるのかな…?)

Dead or Alive 【初回限定盤2】(DVD付)

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 1.声の効果―「あたし」は外から内へ

神様コンから歌われてきた『離さないで愛』(以下、離愛)。

ずっと音源化されていなかったので、その知らせを聞いたときは喜びと同時に緊張もありました。待つ時間が長ければ長いほど、期待は高まり思い出補正がかかるものですよね。まさにそれで、待つ時間の長さが「楽しみ」以外の感情を生み出していました。

 

神様から披露してこなかったわけではないけれど、私の中で離愛の記憶は何年も前のところで止まりアップデートされていないので、その分だけ期待は募っていました。もはや私の中で離愛は神格化されるレベルに達していたので、思い出が壊れたらどうしようという恐怖も少なからずありました。失礼な話だな、と自分でも思いますが。

 

また、ドリボズなどで和風のアレンジをしていたことや王様でロック風のアレンジをしていたことを知っていたので、編曲はどうなるのかなという不安も少しありました。もちろん和風もロックも素敵だけど、やっぱりオリジナルが一番好きなんですよね。だからデッキで再生するまではドキドキ。

 

そして、いざ再生。

最初の音から「これだ」という安心感。そしてかめの声が流れてきて、あまりの濃密さに驚き、一瞬後には離愛の世界観に引き込まれていました。音だけにもかかわらず。

オリジナルバージョンのメロディーには、スパンコールが引きちぎられるような瞬間のきらめきと、「あたし」が愛にまみれてどうしようもなくなり真夜中に一人でネオン街をほっつき歩いていそうな危うさがあると感じていて、そんなところがすごく好きなんですよね。(神様の離愛は、「あたし」の相手がすぐそばにいて「もっと愛してよ」と号泣しながら襲って訴えかけているような気もしたけれど)

 

だから、その部分がしっかりと残っていて、しかもそこにかめの声が湿っぽさを加えていて、バージョンアップされている!と感激。成熟した大人が歌う離愛はこんなにも艶めかしいんだな、と心が震える感じも覚えました。

 

また、28歳の亀梨和也の声は、歌詞が孕んでいた危うさの質も外から内へと変化させたのかなと感じます。

かめが若いころ歌っていた離愛の「あたし」は外に出ていってしまうイメージがありました。それこそ、渋谷あたりで援助交際をしそうだし、「あたし」には「もっと愛してよ」と訴えかける相手、つまり「あなた」がいるにもかかわらず、それだけでは飽き足らず他の人にも愛を求めていそうだし。安い愛情だと分かっていても縋ってしまうような感じですかね。「あなた」を一番に好きであることは変わらないんだろうけれど(愛してるという一言だけで生きていけると言うくらいだから)、「愛してほしい」と熱望している「あたし」は分かりやすく不安定で、その不安定さが全て外に向かっている。「あたし」の心が身体の外に溢れ出て、それが「あなた」にぶつかる。そんな心を持った身体は部屋の外に出て、晒される。

 

実際に歌詞を見ると、そんなこともないんですけど…わたしの妄想力が広がった結果です。笑

歌詞のリンクを貼っておくので、よろしければ一度ご覧になってみてください。


離さないで愛 - KAT-TUN - 歌詞 : 歌ネット

歌詞引用を挟み、さらに続けます。

 

で、そんな印象だった若いころの離愛の「あたし」ですが、それを28歳のおかめちゃんの声は変えました。外外外、だった「あたし」が徹底的に内へ向くようになった。今の「あたし」は援助交際なんてしないし、「もっと愛してよ」なんて「あなた」にぶつけない。真夜中にネオン街をほっつき歩いたりもしないし、号泣だってしない。ただ、不安定さがなくなったわけではないんです。不安なんです。もっと言ってしまえば、揺らぎは昔の「あたし」よりも大きい。心を身体の外に出さない分、心が大きく揺れ動き不安定な状態に陥ると言えばいいのでしょうか。そんな感じです。

今の「あたし」はネオン街にある雑居ビルの一室で、月光に頬を照らされながら一人「もっと愛してよ」と隣にいない相手に対して熱望している、儚げな危うさがあります。苦しみを全て心の内に溜めこんで、「愛してほしい」と一人で泣き、のたうちまわる。感情の“汚い”部分は「あなた」に見せない。今の「あたし」はそんなような人に見えました。感情を表さない分、静かで物分かりのいい「あたし」になったように感じますが、黙って熱情を内に秘めている今の「あたし」の方がよっぽど危険で厄介。いつも静かな人が怒るとすごく怖い。それに似たものを持っています。もはや狂気。

 

歌詞もメロディーも変わっていないのに、声一つでこんなにも受け取り方って変わってくるんだなぁと思いました。神様の離愛を見れば外へ向かう「あたし」が、DoAの離愛を見れば内へ向かう「あたし」が見られる。意識してか無意識かは分かり兼ねますが、もしそんなところまで意識して歌い方を変えていたとしたら、かめはすごいなぁと思います。月並みな感想ですが、素直にそう思います。

 

また、こうして声の効果を感じると、昔歌っていた曲をまた歌ってほしいなぁ、なんて思ってしまいますね。逆に、昔の声じゃなければ表現できなかったこともあるだろうなとも思いますが。KAT-TUNで言えば『LOVE or LIKE』、『Real Face』なんかはそうなんじゃないかなと。『LOVE or LIKE』の青っぽさ、『Real Face』の向こう見ずな感じはもう出せないはず。もちろん、大人になったKAT-TUNが歌うことで、また違った魅力が曲に付け足されるんだろうなぁとも思いますけどね。聞いてみたいなぁ…

 

ちなみに、「あたし」や相手の性別を全く書いていないのには訳があります。これは完全にMVの影響を受けました。MVを見る前のわたしは当たり前のように「あたし」を女性、相手を男性と規定していましたが、MVを見てみたらどうやらそうでもなさそうだ、と思ったんです。

ということで、MVの話に移ります。

 

 

2.「あたし」は女性?―映像が与えるさまざまな可能性

離愛音源化かつMV制作と聞いて、最初に浮かんだのが「離愛って女性視点の歌詞だよな」ということ。「あたし」という一人称が一曲通して堂々と出てくるから、当たり前のように身も心も女性の人を思い浮かべていました。MVに女性出演の可能性、むしろ女性主演の可能性もあるんじゃないかと思ったりもしました。

一方で、かめ『1582』で花魁のような衣装を着てパフォーマンスをしたことがあるから、やっぱり主演はかめかな、しかも女性性を引き受けてくれるんじゃないかなとも思いました。どちらになると断言し切れず、DVDをデッキにイン。

 

いざMVを見てみたら、誇張ではなく瞬きを忘れました。本当に見入りました。最初は音と映像との組み合わせを受け取るのに必死で、とにかく見てました。かめがユニセックスなパフォーマンスするのはいまに始まったことではないけれど、目の前で流れているひとつの物語に、そしてそれを表現する亀梨和也にただただひれ伏すばかり。見せつけられてました。すごい、おかめやっぱすごいなぁと。そして、かめの髪色が暗いのもよかった。黒髪かな?暗い髪色だからこそMVの世界観作り出せたんだろうなと思います。

また、MVを見ることで曲から受け取っていた物語と違う物語を得ることができました。曲だと簡単に言ってしまえば「あたし」と「あなた」は付き合っているような雰囲気があります。不安を覚えていて、でもそれは相手のことが好きだからこその不安で。そんな不安を乗り越えて、これからもっと愛が深まっていくような気すらします。(そんな甘さは微塵も感じませんが。笑)

 

けれども、MVはそうではない。MVの中にいる主人公は後悔を抱えている様子。もしかしたら、まだ付き合っていて喧嘩中といった感じなのかもしれませんが。わたしはそれよりも、もう隣にいないという絶望を主人公から感じました。(『たったひとつの恋』で弘人が菜緒に別れを告げて、一人でヤケ酒をしていたシーンをちょっと思い出させます)曲があってのMVなのに違う物語を読み取ることができる。不思議ですね。

 

そして、何度も何度も繰り返しMVを見て思ったのは、このMVの解釈には幅があるし、主人公である「あたし」も様々に設定できるな、ということでした。わたしが主人公の可能性として考えたのは以下の通りです。

  1. 年上の女性に置いていかれた年下男性
  2. 年上の男性に置いていかれた年下女性
  3. 男性に置いていかれた男娼
  4. ドラァグクイーンの男性

どうして年下かというと、歌詞の中に「あなた」と出てくることや「あたし」が愛されることを求めている感じがしたからです。この解釈は神様の離愛聞いたときに抱いた印象が色濃く反映されているなと、自分で感じます。

 

1はMVから与えられた情報を素直に受け取ればたぶんそう、という選択肢です。女性の洋服や化粧品が散乱する部屋にいる男性、という状況を素直に見ればこう考えます。わたしも最初はそうかなと思いました。写真のネガ見て物を払い倒していましたしね。でも、歌詞を思い出して「あたし」はどこいったんだろう、と思いまして。男性がこの歌詞を表現していることに違和感はなくとも、1のまま解釈すると無理も生じてくるのかも、と考えました。

そして、2の可能性にたどり着いたわけです。かめは女性を演じている、歌詞の通りに表現している。そう思いました。自室で、自分を置いていった男性のことを考え続けている。重い…!でも、これぞ堂本剛作詞曲、という感じもありますね。タイトルから「離さないで」と言ってるんですもんね。自分を束縛して、と言っているみたいです。話がやや反れましたが、2の場合は演じているかめを女性として考えれば、素直に歌詞を表現していると考えられます。

 

ここまでは異性愛という枠の中で、かめに与えられる性別と「あなた」の性別を組み替えて考えてみました。でも正直素直すぎて、少し釈然としなかったんです。そこで、「あたし」という一人称が持つ女性性にとらわれず、映像の中にいるかめを男性として捉えてみることにしました。それが3です。

当初の解釈は「あたし」は女性、「あなた」は男性でした。ですが、MVの出演者であるかめの性別は男性。(亀梨和也という性別、というかジェンダーが存在する気もしますが。)そこで、出演者の性別を離愛の世界に持ち込んでみました。

その結果、男性同士の関係性が生まれ、さらに部屋の様子などから置いていかれた男性が男娼である可能性に至ったのです。壁に貼りつけられた多国籍の名刺、荒れた部屋、赤いレースのカーテン…などなど、色に溺れ退廃的な恋愛が存在した形跡を感じさせるようなものがいくつもありますね。(彼らがしていた恋愛が不道徳というわけではなく、愛の紡ぎ方が不健全だったのではないかということです。)女性の洋服などが部屋にはありますが、3の場合に限ってこれは何かのメタファーと捉えることができるかもしれません。もしくは、付き合っていた彼の趣味、好みか。はたまた置いていかれた彼の趣味、好みか。

 

さて、1~3は置いていかれるという共通点がありました。では4は、というと置いていかれるという設定を付け加えてもいいかと思いますが、ドラァグクイーンであるという設定に重きを置きたくなります。なぜこの発想に至ったかというと、特に理由はなく完全に思い付きです。笑 出演者の性別を離愛MVの世界に持ち込むという段階は3の時点で踏んでいたので、この選択肢は自然と生まれていました。とりあえずドラァグクイーンの説明リンク貼っておきます。

ドラァグクイーン - Wikipedia

部屋には女性の衣服、化粧品、ハイヒール、ランジェリーなどが散乱していました。部屋も赤っぽい感じで、女性の真っ赤な口紅を思い出させるような雰囲気がありますね。こういった中で注目したのが、置いてある洋服が派手ということ。なんだそれだけか、と思われるかもしれませんが、普通の女性はこんなに派手な服を普段から着ないと思うんです。水色のドレスなんかは特に。(ここから少し1に戻ると、相手の女性は水商売をしていた人かな、とかいろいろ想像が膨らみますね。) 

そこでドラァグクイーンの特徴である女性性の過剰演出を思い出したんですね。水色のドレスにハイヒールを踏み鳴らし、部屋と同じくらい赤い口紅をつける。そんな姿が浮かんできました。さみしそうに鼻をこすりつけているフェイクファーのボレロのようなものは、彼からもらったものかな、とも考えてみたり。置いてあるものの性質も色彩も結構過剰な印象を受けたので(でもそれがすごく好みです)、あながち間違えていないのでは…!?と自分では思っています。笑

また、映像の中の彼がドラァグクイーンである場合、MVは完全に曲から離れた物語になる気がしています。離愛は「あたし」と「あなた」の恋愛を軸にして歌われていますが、4の場合は恋愛自体が軸なのではなく「あたし」が「あなた」に置いていかれた後のことが軸になって物語が進められている可能性があるのではないか。そう考えました。「あたし」の内面について考えるような、そんな感じでしょうか。

もうちょっと考えたいところですが。そうすると、かめがビルの階段を駆け上がっていくシーンもなんとなく解釈できる気がする…。うむむ。

 

ここまで「あたし」について考えてきました。本当はこれらを基にMVの考察ときどき感想でも書き連ねようかと思ったのですが、離愛の主人公考が思ったよりも長くなってきたのでやめます。笑

また後日、ブログの記事にさせていただこうかと思うので、よろしければ読んでやってください。

それでは!

 

ごあいさつ

はじめまして。しろみと申します。

漢字にすると白身です。たまごからいただきました。

はてなブログ、文字とかいじれるしおもしろそう…!と思い始めてみました。単純。

 

最近はジュニアにややお熱ですが、元々YOU&Jを追いかけていた人です。

2009年末くらいには離れ気味だったかなぁ…。

いまもゆる~っと見続けています。お茶の間です。

懐古しまくりですが、今も好きです。思い出は思い出。

ジュニアは松村北斗くん中心に見ています。

ただ、まだまだ勉強中の身です…およよ。ジェシーくんとのコンビ推してます。

ほくじぇの『キミハカルマ』がジャニーズ沼にわたしを再び沈めた。

いまも昔もシンメが大好き、コンビが大好き、トリオが大好き。

つまるところグループやジュニアのわちゃわちゃが大好きなんです。

わたしはいつでも無機物。彼らが楽しそうにしているのを天から見守っていたい系おたくです。きもちわるいですね!でも好きなんです…!

 

そんなこんなで、ブログには願望だったり思ったことだったりいろいろ書いていこうと思います。

三日坊主の気があるので、どれくらい続くのか、またどれくらいの頻度で更新するのか自分でもわかってないです。笑

まぁ、のんびりゆるっと続けていければいいなぁと思います。

よろしくお願いします!