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『離さないで愛』の「あたし」を考える―声の効果、映像が与えるさまざまな可能性

こんばんは。しろみです。

クリエは外れました…キャパ600の本気を見た。

さてさて、きょうは亀梨和也離さないで愛』についての感想や考察を書きます。

  • 声の効果ー「あたし」は外から内へ
  • 「あたし」は女性?―映像が与えるさまざまな可能性

以上の2本立てでいきます!ちょっと長いかも…?

離さないで愛』はKAT-TUNDead or Alive』の初回版2に収録されているので、お買い求めになっていない方はぜひ!(まだ買えるのかな…?)

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 1.声の効果―「あたし」は外から内へ

神様コンから歌われてきた『離さないで愛』(以下、離愛)。

ずっと音源化されていなかったので、その知らせを聞いたときは喜びと同時に緊張もありました。待つ時間が長ければ長いほど、期待は高まり思い出補正がかかるものですよね。まさにそれで、待つ時間の長さが「楽しみ」以外の感情を生み出していました。

 

神様から披露してこなかったわけではないけれど、私の中で離愛の記憶は何年も前のところで止まりアップデートされていないので、その分だけ期待は募っていました。もはや私の中で離愛は神格化されるレベルに達していたので、思い出が壊れたらどうしようという恐怖も少なからずありました。失礼な話だな、と自分でも思いますが。

 

また、ドリボズなどで和風のアレンジをしていたことや王様でロック風のアレンジをしていたことを知っていたので、編曲はどうなるのかなという不安も少しありました。もちろん和風もロックも素敵だけど、やっぱりオリジナルが一番好きなんですよね。だからデッキで再生するまではドキドキ。

 

そして、いざ再生。

最初の音から「これだ」という安心感。そしてかめの声が流れてきて、あまりの濃密さに驚き、一瞬後には離愛の世界観に引き込まれていました。音だけにもかかわらず。

オリジナルバージョンのメロディーには、スパンコールが引きちぎられるような瞬間のきらめきと、「あたし」が愛にまみれてどうしようもなくなり真夜中に一人でネオン街をほっつき歩いていそうな危うさがあると感じていて、そんなところがすごく好きなんですよね。(神様の離愛は、「あたし」の相手がすぐそばにいて「もっと愛してよ」と号泣しながら襲って訴えかけているような気もしたけれど)

 

だから、その部分がしっかりと残っていて、しかもそこにかめの声が湿っぽさを加えていて、バージョンアップされている!と感激。成熟した大人が歌う離愛はこんなにも艶めかしいんだな、と心が震える感じも覚えました。

 

また、28歳の亀梨和也の声は、歌詞が孕んでいた危うさの質も外から内へと変化させたのかなと感じます。

かめが若いころ歌っていた離愛の「あたし」は外に出ていってしまうイメージがありました。それこそ、渋谷あたりで援助交際をしそうだし、「あたし」には「もっと愛してよ」と訴えかける相手、つまり「あなた」がいるにもかかわらず、それだけでは飽き足らず他の人にも愛を求めていそうだし。安い愛情だと分かっていても縋ってしまうような感じですかね。「あなた」を一番に好きであることは変わらないんだろうけれど(愛してるという一言だけで生きていけると言うくらいだから)、「愛してほしい」と熱望している「あたし」は分かりやすく不安定で、その不安定さが全て外に向かっている。「あたし」の心が身体の外に溢れ出て、それが「あなた」にぶつかる。そんな心を持った身体は部屋の外に出て、晒される。

 

実際に歌詞を見ると、そんなこともないんですけど…わたしの妄想力が広がった結果です。笑

歌詞のリンクを貼っておくので、よろしければ一度ご覧になってみてください。


離さないで愛 - KAT-TUN - 歌詞 : 歌ネット

歌詞引用を挟み、さらに続けます。

 

で、そんな印象だった若いころの離愛の「あたし」ですが、それを28歳のおかめちゃんの声は変えました。外外外、だった「あたし」が徹底的に内へ向くようになった。今の「あたし」は援助交際なんてしないし、「もっと愛してよ」なんて「あなた」にぶつけない。真夜中にネオン街をほっつき歩いたりもしないし、号泣だってしない。ただ、不安定さがなくなったわけではないんです。不安なんです。もっと言ってしまえば、揺らぎは昔の「あたし」よりも大きい。心を身体の外に出さない分、心が大きく揺れ動き不安定な状態に陥ると言えばいいのでしょうか。そんな感じです。

今の「あたし」はネオン街にある雑居ビルの一室で、月光に頬を照らされながら一人「もっと愛してよ」と隣にいない相手に対して熱望している、儚げな危うさがあります。苦しみを全て心の内に溜めこんで、「愛してほしい」と一人で泣き、のたうちまわる。感情の“汚い”部分は「あなた」に見せない。今の「あたし」はそんなような人に見えました。感情を表さない分、静かで物分かりのいい「あたし」になったように感じますが、黙って熱情を内に秘めている今の「あたし」の方がよっぽど危険で厄介。いつも静かな人が怒るとすごく怖い。それに似たものを持っています。もはや狂気。

 

歌詞もメロディーも変わっていないのに、声一つでこんなにも受け取り方って変わってくるんだなぁと思いました。神様の離愛を見れば外へ向かう「あたし」が、DoAの離愛を見れば内へ向かう「あたし」が見られる。意識してか無意識かは分かり兼ねますが、もしそんなところまで意識して歌い方を変えていたとしたら、かめはすごいなぁと思います。月並みな感想ですが、素直にそう思います。

 

また、こうして声の効果を感じると、昔歌っていた曲をまた歌ってほしいなぁ、なんて思ってしまいますね。逆に、昔の声じゃなければ表現できなかったこともあるだろうなとも思いますが。KAT-TUNで言えば『LOVE or LIKE』、『Real Face』なんかはそうなんじゃないかなと。『LOVE or LIKE』の青っぽさ、『Real Face』の向こう見ずな感じはもう出せないはず。もちろん、大人になったKAT-TUNが歌うことで、また違った魅力が曲に付け足されるんだろうなぁとも思いますけどね。聞いてみたいなぁ…

 

ちなみに、「あたし」や相手の性別を全く書いていないのには訳があります。これは完全にMVの影響を受けました。MVを見る前のわたしは当たり前のように「あたし」を女性、相手を男性と規定していましたが、MVを見てみたらどうやらそうでもなさそうだ、と思ったんです。

ということで、MVの話に移ります。

 

 

2.「あたし」は女性?―映像が与えるさまざまな可能性

離愛音源化かつMV制作と聞いて、最初に浮かんだのが「離愛って女性視点の歌詞だよな」ということ。「あたし」という一人称が一曲通して堂々と出てくるから、当たり前のように身も心も女性の人を思い浮かべていました。MVに女性出演の可能性、むしろ女性主演の可能性もあるんじゃないかと思ったりもしました。

一方で、かめ『1582』で花魁のような衣装を着てパフォーマンスをしたことがあるから、やっぱり主演はかめかな、しかも女性性を引き受けてくれるんじゃないかなとも思いました。どちらになると断言し切れず、DVDをデッキにイン。

 

いざMVを見てみたら、誇張ではなく瞬きを忘れました。本当に見入りました。最初は音と映像との組み合わせを受け取るのに必死で、とにかく見てました。かめがユニセックスなパフォーマンスするのはいまに始まったことではないけれど、目の前で流れているひとつの物語に、そしてそれを表現する亀梨和也にただただひれ伏すばかり。見せつけられてました。すごい、おかめやっぱすごいなぁと。そして、かめの髪色が暗いのもよかった。黒髪かな?暗い髪色だからこそMVの世界観作り出せたんだろうなと思います。

また、MVを見ることで曲から受け取っていた物語と違う物語を得ることができました。曲だと簡単に言ってしまえば「あたし」と「あなた」は付き合っているような雰囲気があります。不安を覚えていて、でもそれは相手のことが好きだからこその不安で。そんな不安を乗り越えて、これからもっと愛が深まっていくような気すらします。(そんな甘さは微塵も感じませんが。笑)

 

けれども、MVはそうではない。MVの中にいる主人公は後悔を抱えている様子。もしかしたら、まだ付き合っていて喧嘩中といった感じなのかもしれませんが。わたしはそれよりも、もう隣にいないという絶望を主人公から感じました。(『たったひとつの恋』で弘人が菜緒に別れを告げて、一人でヤケ酒をしていたシーンをちょっと思い出させます)曲があってのMVなのに違う物語を読み取ることができる。不思議ですね。

 

そして、何度も何度も繰り返しMVを見て思ったのは、このMVの解釈には幅があるし、主人公である「あたし」も様々に設定できるな、ということでした。わたしが主人公の可能性として考えたのは以下の通りです。

  1. 年上の女性に置いていかれた年下男性
  2. 年上の男性に置いていかれた年下女性
  3. 男性に置いていかれた男娼
  4. ドラァグクイーンの男性

どうして年下かというと、歌詞の中に「あなた」と出てくることや「あたし」が愛されることを求めている感じがしたからです。この解釈は神様の離愛聞いたときに抱いた印象が色濃く反映されているなと、自分で感じます。

 

1はMVから与えられた情報を素直に受け取ればたぶんそう、という選択肢です。女性の洋服や化粧品が散乱する部屋にいる男性、という状況を素直に見ればこう考えます。わたしも最初はそうかなと思いました。写真のネガ見て物を払い倒していましたしね。でも、歌詞を思い出して「あたし」はどこいったんだろう、と思いまして。男性がこの歌詞を表現していることに違和感はなくとも、1のまま解釈すると無理も生じてくるのかも、と考えました。

そして、2の可能性にたどり着いたわけです。かめは女性を演じている、歌詞の通りに表現している。そう思いました。自室で、自分を置いていった男性のことを考え続けている。重い…!でも、これぞ堂本剛作詞曲、という感じもありますね。タイトルから「離さないで」と言ってるんですもんね。自分を束縛して、と言っているみたいです。話がやや反れましたが、2の場合は演じているかめを女性として考えれば、素直に歌詞を表現していると考えられます。

 

ここまでは異性愛という枠の中で、かめに与えられる性別と「あなた」の性別を組み替えて考えてみました。でも正直素直すぎて、少し釈然としなかったんです。そこで、「あたし」という一人称が持つ女性性にとらわれず、映像の中にいるかめを男性として捉えてみることにしました。それが3です。

当初の解釈は「あたし」は女性、「あなた」は男性でした。ですが、MVの出演者であるかめの性別は男性。(亀梨和也という性別、というかジェンダーが存在する気もしますが。)そこで、出演者の性別を離愛の世界に持ち込んでみました。

その結果、男性同士の関係性が生まれ、さらに部屋の様子などから置いていかれた男性が男娼である可能性に至ったのです。壁に貼りつけられた多国籍の名刺、荒れた部屋、赤いレースのカーテン…などなど、色に溺れ退廃的な恋愛が存在した形跡を感じさせるようなものがいくつもありますね。(彼らがしていた恋愛が不道徳というわけではなく、愛の紡ぎ方が不健全だったのではないかということです。)女性の洋服などが部屋にはありますが、3の場合に限ってこれは何かのメタファーと捉えることができるかもしれません。もしくは、付き合っていた彼の趣味、好みか。はたまた置いていかれた彼の趣味、好みか。

 

さて、1~3は置いていかれるという共通点がありました。では4は、というと置いていかれるという設定を付け加えてもいいかと思いますが、ドラァグクイーンであるという設定に重きを置きたくなります。なぜこの発想に至ったかというと、特に理由はなく完全に思い付きです。笑 出演者の性別を離愛MVの世界に持ち込むという段階は3の時点で踏んでいたので、この選択肢は自然と生まれていました。とりあえずドラァグクイーンの説明リンク貼っておきます。

ドラァグクイーン - Wikipedia

部屋には女性の衣服、化粧品、ハイヒール、ランジェリーなどが散乱していました。部屋も赤っぽい感じで、女性の真っ赤な口紅を思い出させるような雰囲気がありますね。こういった中で注目したのが、置いてある洋服が派手ということ。なんだそれだけか、と思われるかもしれませんが、普通の女性はこんなに派手な服を普段から着ないと思うんです。水色のドレスなんかは特に。(ここから少し1に戻ると、相手の女性は水商売をしていた人かな、とかいろいろ想像が膨らみますね。) 

そこでドラァグクイーンの特徴である女性性の過剰演出を思い出したんですね。水色のドレスにハイヒールを踏み鳴らし、部屋と同じくらい赤い口紅をつける。そんな姿が浮かんできました。さみしそうに鼻をこすりつけているフェイクファーのボレロのようなものは、彼からもらったものかな、とも考えてみたり。置いてあるものの性質も色彩も結構過剰な印象を受けたので(でもそれがすごく好みです)、あながち間違えていないのでは…!?と自分では思っています。笑

また、映像の中の彼がドラァグクイーンである場合、MVは完全に曲から離れた物語になる気がしています。離愛は「あたし」と「あなた」の恋愛を軸にして歌われていますが、4の場合は恋愛自体が軸なのではなく「あたし」が「あなた」に置いていかれた後のことが軸になって物語が進められている可能性があるのではないか。そう考えました。「あたし」の内面について考えるような、そんな感じでしょうか。

もうちょっと考えたいところですが。そうすると、かめがビルの階段を駆け上がっていくシーンもなんとなく解釈できる気がする…。うむむ。

 

ここまで「あたし」について考えてきました。本当はこれらを基にMVの考察ときどき感想でも書き連ねようかと思ったのですが、離愛の主人公考が思ったよりも長くなってきたのでやめます。笑

また後日、ブログの記事にさせていただこうかと思うので、よろしければ読んでやってください。

それでは!