テレビディナー

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シンメに関する卒論の話①ふたつの自我

こんばんは。とてもおひさしぶりです。

2015年12月ごろに「卒論のアンケート」のご協力をお願いして以来でしょうか。あの後、なんとか卒論を書き終え*1提出し、無事に卒業できることになりました。あらためてご協力いただき、ありがとうございました。

そこで、ほぼほぼ自己満ではありますが、なんとなく卒論のことをつづっていこうかと思います。

ざっくりとお伝えしますと、①シンメトリーの存在がアイドルにどのような影響を及ぼすのか ②なぜファンはシンメトリーを好むのか という二つのことについて論じました。

シンメ厨がシンメへのいろいろをこじらせただけの、もはや論文と呼んでいいのかも怪しいものですが、気の向く限りで更新していきます。途中でやる気が切れてしまったらすいません。

今読み返しても大変拙く、研究も足りず視野の狭い文章のまとめではありますが、暇潰し程度にでもなれれば幸いです。

 

 

★シンメについて論じようと思った理由

シンメ厨を自称するくらいなので、シンメへの愛はもちろん理由のうちの一つとして存在しています。

しかし、それ以上に私を駆り立てたのは「なぜコンビではなくシンメトリーなのか」という疑問でした。同じ二人組でもコンビとシンメでは意味が違います。そして、ジャニーズという世界において、シンメの方が重要視されている印象を受けます。これはファンの発言だけではなくアイドル当人の発言を見ても感じることです。

その理由を考え始めたら、この二つを分かつものは意味ではない場所にあるのではないか、というところに行き着きました。そして、それを考えていったらとても面白くなりそうだったので卒論のテーマとして取り上げることにしました。

 

それと同時に、私自身もそうなのですが、「シンメ厨」が生まれることに対しても疑問を抱きました。なぜ同じ二人組だとしても、コンビではなくシンメでくくりたがるのか。自分の中である程度考えはありましたが客観性が欲しかったので、みなさまにアンケートのご協力をお願いしました。

 

まずは①シンメトリーの存在がアイドルにどのような影響を及ぼすのか、ということについて述べていきます。

 

★二つの自我

そもそも、アイドルとはなんぞや、というところから話を始めます。

ほとんどの方がご存知かとは思いますが、アイドルは〈idol〉に由来しています。〈idol〉の意味は「偶像」です。

偶像とは「①木・石・土・金属などでつくった像。②神仏にかたどり信仰の対象とする像」(『新選国語辞典 第九版』p.357、2011、小学館)という意味を持ちます。

つまり、アイドルとは作られた像だと言うことができます。Aという人間がいて、AがアイドルになるとしたらA’という存在が生まれるいうことです。実際にはアイドルになろうとなるまいとAの身体は一つしか存在しません。身体に限って言えば、ジャニーズアイドルたちを見渡してもそうであることは明白です。

 

ですが、ここで問題にしたいのは自我についての話です。

自我とは意識のおおもとであり、それがかかわる全ての出来事をコントロールする心の審級であるとジークムント・フロイトは述べています*2

AがアイドルになるとしたらA’という存在が生まれると述べました。AはAとしての人生の積み重ねで自我を形成してきています。しかし、A’はA’としての人生を持っていません。自我は言わずもがなです。そのため、A’はA’としての振る舞いをするために自我を形成していかなければなりません。なぜなら、アイドルとしての振る舞いを要請されるようになるからです。むしろ、アイドルになってからアイドルとしての自我を形成しなければ、アイドルらしい振る舞いやパフォーマンスを披露することはできないと言えます。

 

以前、村瀬健さんのお話を拝聴する機会がありました。そこで村瀬さんは「ジャニーズはモテるための帝王学を知っているし、モテるための努力をしている」とおっしゃっていました。「モテるための帝王学/努力」というのはアイドルとしての振る舞いに繋がるところでもあると思ったため、ここで引用しておきます。

 

話を一段落前に戻します。

二つの自我について具体的に考えていきたいと思います。ただ、ここはかなり主観的かつ、印象で語っている部分もあるので、特にファンの方には大目に見ていただけると幸いです。

 

ジャニーズ事務所所属アイドルの中で、最も意識的に二つの自我を存在させていると感じるのがSMAP中居正広さんです。彼がテレビ番組で司会を務めていたり、グループでも中心に立っている姿をよく拝見します。また、お笑いの要素を多分に引き受けている印象もあります*3

中居さんがプライベートについて語る場面を何度か拝見したことがありますが、そこでは一人で家にいることを強く求めているように感じました。共演者の方から「結婚できない」なんてことも言われていたはず。

 

ここで思ったのが、アイドルとしての中居さんの姿と一人の人間としての中居さんの姿には大きな乖離があるということでした。もちろん、メディアを通して見ているためどこまでが本当でどこからが嘘か、という問題もあります。ですが、ここでは中居さんの言葉が全て本当のこととして話を進めていきます。

前者はスタッフや視聴者に作り上げられた、もしくは彼自身が意識的に作り上げた中居正広像で、後者は中居さんという人間そのものだと考えられるのです。

 

このように、アイドルはアイドルとしての自我を保持していて、その自我を持つ像として芸能界に存在しています。また、アイドルとしての自我は自己演出やキャラクターとほぼイコールで繋げることができます。

 

では、アイドルはどのようにアイドルとしての自我を形成していくのでしょうか。

ここからは、もしあれば、また次回、ということで。

 

それでは!

 

 

*1:結局、3万7千字くらい書きました

*2:フロイト全集18』「自我とエス」より

*3:SMAPはアイドルがコントをしたりすることで新境地を切り開いたというイメージがあるので、グループとしてその色が強いのかな、とも思います