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永遠ではないと、わかっているけれど――King & Prince「シンデレラガール」で彼らがファンに立てた誓い

 King&Prince(キンプリ)の「シンデレラガール」は、デビュー曲として100点満点!なぜなら、彼らがファンに対する誓いを立てているから!

 そう思った理由を、歌詞の考察を基に説明していきます。

 

1.「シンデレラガール」の二面性

2.ある女の子に片想いする男の子の心情

  ・ドラマ「花のち晴れ」と映画「シンデレラ」の関連性

  ・映画「シンデレラ」を用いて立場の逆転を考える

3.キンプリからファンに対する誓い

  ・「永遠」はないと、わかっているけれど

  ・「恋」が思い出に変わるとしても

  ・夢の中に、「ボク」は現れている?

4.おしまいに

 

 深読みがすぎる部分などもあるかもしれませんが……、いってみましょう!(※歌詞は2018年5月4日放送のザ少年倶楽部のテロップを参照して書き起こしました)

 

キミはシンデレラガール My precious one
You're the only flowering heroine
どんなときも ずっとそばで まぶしいその笑顔見せて
やがて シンデレラガール 魔法が解ける日が来たって
いつになっても 幾つになっても
ボクはキミを守り続ける
I wanna be your sunshine
Because your smile has the magic
I wanna always be your sunshine
Always makes me happy!!

 

PM11時間近の にぎわう街並みに
まだサヨナラ言うには 全然早すぎるのに
わりと門限きびしいって そんなのちゃんと分かってるって
だけどやっぱ いざとなると帰したくない
次に会える約束も そこそこに駆け出す人
長い階段駆け上がって 人波に消える

 

キミはシンデレラガール My precious one
You're the only flowering heroine
いつになっても いつになっても となりでその笑顔見せて
やがて シンデレラガール 魔法が解ける日が来たって
いつになっても 幾つになっても
ボクはキミを守り続ける
I wanna be your sunshine
Because your smile has the magic
I wanna always be your sunshine
Always makes me happy!!

 

キミが思うより ボクはキミを想ってる
キミはボクが思うよりも ねぇ ボクを想うのかな?
だれもがみんな嘆いてる ”恋の魔法には期限がある”
”時がたてば 宝石もガラス玉さ”
もしもそんな日が来たって キミは朝の光にかざして
それを耳元に飾るだろう ボクはまたキミに恋するんだろう

 

AM0時の鐘を聴く頃に キミはどんな夢見てる?
もしもボクに魔法がつかえたなら 夜空越えて会いにいけるのに…

 

キミは シンデレラガール My precious one
You're the only flowering heroine
どんなときも ずっとそばで ボクの心 灯しつづけて

キミはシンデレラガール My precious one
You're the only flowering heroine
いつになっても いつになっても となりでその笑顔見せて
やがてシンデレラガール 魔法が解ける日が来たって
いつになっても 幾つになっても ボクはキミを守り続ける
I wanna be your sunshine
Because your smile has the magic
I wanna always be your sunshine
Always makes me happy!!

I wanna always be your King & Prince

 

―――――――――

 

1.「シンデレラガール」の二面性

 まずは、どんなことを歌っている曲なのか、歌詞を読んだ印象でざっくりと2つにまとめました。

 

 ①ある女の子に恋する男の子の心情

  これは、素直に歌詞を読み取った結果です。「ボク」が「キミ」を追いかけてるので、片想いなんでしょう。

 ②キンプリからファンに対する誓い

  特に2番の歌詞は、ファンに対するメッセージ性が強くなっていると思います。さらに、キンプリからファンに対する想いも込められているのではないでしょうか。

 

 全体的に「シンデレラ」の時限的な部分による切なさのようなものがありますね。「AM0時の鐘」、「魔法」など、おとぎ話のような要素も散りばめられていて、まるで一つの童話を読んでいる気分になります。

 

 では、まずは①の方向から、次に②の方向から歌詞を分析をしていきます。

 

 

 

2.ある女の子に恋する男の子の心情

ドラマ「花のち晴れ」と映画「シンデレラ」の関連性

 男の子(ボク)を王子様に、女の子(キミ)をシンデレラに例えて歌詞は綴られています。この例えは、「シンデレラガール」がドラマ「花のち晴れ」(花晴れ)の主題歌であることに起因していると考えられます。

 

 ここで、ご存知の方ばかりかとは思いますが、「シンデレラ」のあらすじを紹介します。

 映画『シンデレラ(1950年)』ネタバレあらすじ結末|映画ウォッチを参考にさせていただきました。

 両親とともに大きなお屋敷に住んでいたシンデレラは、ある日、母を亡くしてしまいます。父は、シンデレラのことを思って再婚したのですが、父の死後、継母や義理の姉妹たちの態度が豹変。シンデレラをこき使い、浪費し、お屋敷はいつしかボロボロになってしまいました。

 シンデレラはつらい思いをしながら屋根裏部屋に住んでいましたが、どんなにつらくてもいつか夢は叶うと希望を捨てずに日々を過ごしていました。

 

 そんなある日、王子の花嫁を選ぶ舞踏会がお城で開かれることになりました。国中の年頃の女性は全員参加するよう命じられたものの、シンデレラは継母らに意地悪をされ舞踏会への参加を諦めかけてしまいます。しかし、妖精の魔法によって舞踏会へ行けることになりました。ただし、「12時の鐘が鳴り終わると魔法が解ける」という条件付きで。

 

 舞踏会で王子とシンデレラは一緒に踊り、会話をし、恋に落ちました。しかし、12時の鐘が鳴り始めてしまったのでシンデレラは急いで駆け出します。魔法が解ける前になんとか城の外へ出られましたが、履いていたガラスの靴を落としてきてしまいました。

 

 翌日、お城から「ガラスの靴の持ち主を王子の花嫁にする」と通達が出ました。紆余曲折あり、ガラスの靴はシンデレラが履いていたものということが明るみになり、二人は晴れて結婚し、幸せに暮らしました。

 

 花晴れの主人公・江戸川音は社長令嬢でしたが、父の会社が倒産。ボロアパートで母と二人暮らしする”庶民”になります。一方、もう一人の主人公(でいいのかな)神楽木晴、そして音の婚約者・馳天馬は御曹司。いわば”王子様”です。

 庶民と王子様。まさに、シンデレラの構図と同じですね。

 

映画「シンデレラ」を用いて立場の逆転を考える

 「シンデレラガール」で女の子の心情は明らかにされていません。ただ、2番の歌詞「キミが想うより ボクはキミを思ってる キミもボクが想うよりも ねぇ ボクを想うのかな?」から、男の子が片想いをしていることが分かります。

 2話で、音は現状に対して心苦しさと申し訳なさを抱きつつ天馬と両想いであり、晴は音へ片想いしていることが明らかになりました。

 花晴れの原作を読んでいないので今後の展開は分かりませんが、現段階では晴の音に向けた心情をつづった歌詞と言っても間違いではないでしょう。

 「キミ」の想い、「キミ」がどんな夢を見ているか、「次に会う約束」もしっかりしたものではなく、曖昧なもの。分からないことが多い関係です。

 

 また、「長い階段駆け上がって人波に消える」という歌詞からも、片想いであることがうかがえます。

 「シンデレラ」でシンデレラが長い階段を急いで駆け下り、お城を後にするシーンがあります。映画では王子が階段の「上」から駆け降りるシンデレラを見ていますが、歌詞では「ボク」が階段の「下」から駆け上がる「キミ」を見ています。ここから、王子とシンデレラの立場が映画と曲とで異なっているのではないかと考えました。

 

 優位にある方が上の位置にある、というのは何を見ても共通しています。身近な例を挙げるならば、あまり想像したくないことですが土下座があります。これは謝る人が許しを請い、地面に手や膝をつき、姿勢を低くします。そのとき、謝られている人の方が上から土下座をする人を見る形になりますよね。ほかにも、敬意を表する場面なども想像がつきやすいと思います。

 

 ただ、階段を用いて表していることは「シンデレラ」と「シンデレラガール」では違います。前者は身分、後者は恋愛における立場です。

 「シンデレラ」は、設定に加え、王子とシンデレラは舞踏会の時点で両想いになっていますから、身分の違いを表現していると考えられます。一方、「シンデレラガール」では身分の違いだと矛盾が生じます。なので、「ボク」と「キミ」の想いの違いを表現していると言えます。惚れた弱み、なんて言葉もありますが、恋をした人は想い人にどうしたって勝てない。どうしたって、想い人のほうが優位になるんです。

 こういったところから、曲、ひいてはドラマではシンデレラ、つまり「キミ」優位に立場が逆転していると読み取り、男の子の片想いソングだと結論づけました。

 

 

 

3.キンプリからファンに対する誓い

「永遠」はないと、わかっているけれど

  2でも書いたように、「シンデレラガール」は「ボク」の「キミ」に対する想いを歌っています。あくまで一対一の関係ですね。

 ここで視点を変え、「ボク」をキンプリ、「キミ」を不特定多数のファンとして歌詞を解釈していきます。アイドルが擬似恋愛の対象と捉えられる側面もあると考えれば、彼らとファンに置き換えることにも無理はないでしょう。

 では、なぜ「キンプリからファンに対する誓い」になるのか。それは、彼らが「永遠に続くものはないとわかっている」という前提を歌っているからです。そして、それこそが個人的にすごくこの曲が刺さった理由でもあります。

 彼らが歌う「前提」を具体的に感じたのは以下の二つの歌詞でした。

 

やがてシンデレラガール 魔法が解ける日が来たって

恋の魔法には期限がある

 

 一般的に、アイドルのファンは女子中高生がボリュームゾーンと考えられています。自分のことを思い返しても、中高生のときはジャニーズ好きな人が多かったです。追いかける程度に差はあれど、CDを買ったり曲を聞いて覚えたり、雑誌やテレビ番組を見たり。「このグループなら○○くんが好き、かっこいい」というのは、クラスの女の子同士でも共通の話題になり得ていました。

 そして、同時に中高生ファンの「好き」は「恋」であるとも考えられがちです。夢を見がちな年頃だからなのか、夢中になれるだけの時間がたっぷりあるから、見えている世界が狭いから……、と、そう考えられがちな理由はいろいろありそうですが、それをつっつくのはまた別の機会にして……。

 もちろん、彼女たち全員がアイドルに対して、恋愛に似た感情を抱くとは言えません。ただ、「同担拒否」という言葉が存在するのは、アイドルを「彼氏」、つまり一対一の関係性を築いている存在として見ている層がいるからでしょう。「自分が彼のことを一番に知っている」というファン同士でのマウンティングも存在しますよね。

 

 でも、ファンが中高生でいられるのは合わせてたったの6年間。限りがあります。永遠に中学生、高校生ではいられません。

 高校を卒業したら、大学に進学したり就職したりします。学問や仕事を通して出会う人や知ることが増え、見える世界がぐっと広がります。そうすると、彼女たちの目には今まで見えていなかったものが見えてくる。アイドルは偶像なんだ、と気付く。

 それが、「魔法が解ける日」です。

 アイドルが好きで好きでたまらなくて、「恋」をしていたときは気づいていなかったけれど、それは「恋の魔法」にかかっていただけなんだ、と、気付くときがやってきます。

 だから、年齢を重ねていけば「同担拒否」という言葉も聞く機会が減りますし、現実の世界で恋人を作ったり、結婚したりしたりする人が増えます。そして、「恋」ではなく、違う感情でアイドルを応援するようになる人が増えていくわけです。

 

 こんな前提を、キンプリは「シンデレラガール」で歌っています。

 ファンがいつまでも熱狂的に、まるで恋に落ちているかのような温度で、全ての熱量を注ぎ込んで自分たちを応援してくれるとは思っていません。永遠はないと、わかっているんです。

 

 でも、彼らは突き放しません。

 まず1つ目、「やがて シンデレラガール 魔法が解ける日が来たって」の後は、「いつになっても 幾つになっても ボクはキミを守り続ける」と歌っています。

 彼らがファンを「守り続ける」のには期限を設けていません。さらに、年齢も問うていません。守る、というのはファンの存在というより、ファンの笑顔と解釈したほうが通りがいいかもしれないです。「となりでその笑顔見せて」「Because your smile has the magic」と歌っていますからね。

 

 次に2つ目、「”恋の魔法には期限がある”」の後は、さらに「”時がたてば 宝石もガラス玉さ”」と続きます。ですが、その後で「もしもそんな日が来たって(中略)ボクはまたキミに恋するんだろう」と歌うんですよね。

 今はファンだとしても、時がたてば離れてしまうかもしれない未来があることもわかっています。でも、彼らは「キミに恋するんだろう」、つまり、ファンに恋をする。ここでは、大切に想う、くらいの意味でとると個人的にはしっくりきました。

 

 こんなふうに、「永遠ではないとわかってるけど、大切にするから笑顔を見せていてね」と歌った上で、最後に「ボク(たち)はいつでもキミ(たち)の笑顔を守る王子でいるよ」と誓ってるんですよね、この曲。

 

 「シンデレラ」と「シンデレラガール」では王子様とシンデレラの立場が逆転していると2で書きました。

 それは、キンプリとファンという文脈でも生きてくるんです。あくまで「キミ」(=ファン)が「長い階段駆け上がって」いくシンデレラ。成長して、広い世界(=人波)に消えていく。「ボク」(=キンプリ)は、「帰したくない」と思いつつ、階段の下から見ている王子様。

 あくまでこの曲中では、ファンがキンプリに対して優位なんです。

  いや、もうキンプリちゃんたちがひざまずいて忠誠を誓ってくれるなんて、最高すぎませんか!? もはや全てを手放して「最高~~~~~~!!!!!!!!!!好き~~~~~~~!!!!!!!!!」とだけ叫んでいたい。

 

 以上のことから、グループ名にもふさわしく、なおかつ「ファン」へのメッセージも込められている「シンデレラガール」は、名刺になるデビュー曲として100点満点どころか100億点あげたくなるほど、最高だと思いました。

 

「恋」が思い出に変わるとしても

 なんとなく前項でキリがいい気はしますが、まだ言及したい箇所があるので続けます……!

 ファンへのメッセージ性の強さもさることながら、全体的に漂う「切なさ」もこの曲をさらに魅力的にしていると思っています。具体的な部分は2つあります。1つ目はこちら。

 

”恋の魔法には期限がある” ”時がたてば 宝石もガラス玉さ” もしもそんな日が来たって キミは朝の光にかざして それを耳元に飾るだろう

 

 先ほどピックアップした部分と同じですが、今度は「”時がたてば 宝石もガラス玉さ”」のあたりに注目していきます。

 ここでの「宝石」は、「キミ」が彼らを「ファン」という立場で追い掛けている時間を指すと考えました。

 

 宝石は「美しさと耐久性および希少価値とを兼ねそなえ,装飾用や財産としても高く評価される鉱物」、「美しい光彩をもち、装飾用としての価値が高い非金属鉱物」*1です。きれいで、値段も5桁以上はする高価な装飾品ですね。だから、人はみんな大事にします。

 ファンにとって、応援しているアイドルを見たりアイドルの歌を聞いたりして過ごした時間は、すごく価値のあるものです。だからコストを費やすし、それに対する抵抗もない。コンサートで彼らと過ごす時間や、メディア上で受け取る彼らの姿・声は、「宝石」と同じように美しく価値があり、大事にしたいものだと思います。

 

 一方の「ガラス玉」はどうでしょうか。例を挙げるとしたらビー玉が一番わかりやすいと思いますが、ビー玉は何十個かまとまって入った状態で販売されており、子どもの遊びなどに使用するものです。値段は1個なら10円前後、まとまった状態でも1000円前後で買え、宝石と比べたら断然お手頃ですね。

 時がたってファンでなくなれば、彼らと過ごした時間の価値は下がります。過ごしてきたさまざまな時間の中に、紛れ込んでしまうようなものになります。

 

 ただ、無価値、無意味なものになるわけではないんです。もし、価値も意味もないものになるんだとしたら、「ガラス玉」ではなくて「ただの石」でもいいはずですから。

 先ほども書きましたが、「ガラス玉」は子どもが遊びに使ったりします。他にもラムネ瓶に入っていたり、ノスタルジックな記憶と結びつきがちなアイテムです。そこがミソになります。

 「キミ」がファンでなくなったとき、彼らと過ごした大事な時間は、「キミ」にとって思い出になる。

 こんなふうに読み取ることができます。恋した時間が思い出に変わる、とも言えるかもしれません。「もしもそんな日が来たって キミは朝の光にかざして それを耳元に飾るだろう」と続いていることからも、「キミ」にとってファンとして過ごした時間が無価値、無意味になるとは歌っていないと言えるでしょう。

 ただ、もう宝石ではないからすごく大事にはしないんですよね。もしかしたら落としてしまうかもしれないし、無くしてしまうかもしれない。他に「宝石」があるのかもしれない。

 けど、あのときは楽しかったなぁ、キラキラしていたなぁ、などという感慨に耽りながら、その思い出で自分を”飾る”。

 と、そんなこともわかっているキンプリ……!そして、わかっていながら「またキミに恋するんだろう」なキンプリ……!

 今、大切にしているファンがファンでなくなるときが来るかもしれない。けど、その時々のファンを自分たちは大切にしていく、ということかなと思い、今のファンだけではなく将来ファンになるであろう人のことも、もはや抱きしめているキンプリに感心してしまいました。

 

 書きながら考えてみると切ないだけではありませんが、ファンの心情の移り変わりすら受け止めているキンプリに悲壮感に近いものを感じたのかもしれません。だから、切ない印象のほうが強いのかな~。

 

夢の中に、「ボク」は現れている?

 もう1つ切ないポイントが。こちらです!

 

AM0時の鐘を聴く頃に キミはどんな夢見てる? もしもボクに魔法がつかえたなら 夜空越えて会いにいけるのに…

 

 夢にまつわるおまじないやお話って、いろいろありますよね。たとえば、「夢に出てきてほしい人の写真を枕の下に入れると、その人の夢を見られる」っていうおまじないとかありませんでした? 写真や雑誌の切り抜きを枕の下に入れて、好きなアイドルの夢を見よう、みたいな。

 

 歌詞に目をやると、「ボク」は「キミ」がどんな夢を見ているのか気になっていますよね。気になっているというのは、「ボク」の夢を見ている自信がないことの裏返しとも取れます。曲中での立場は、あくまで「ボク」が「キミ」を追いかけていて、「キミ」のほうが優位にあります。だから、絶対に「ボク」の夢を見てるよね、なんて言えない。

 でも、「どんな夢見てる?」の後に、実は「ボクの夢を見ていたらいいのに」が続くと思うんです。「ボク」(=キンプリ)は「キミ」(=ファン)の夢の中に「ボク」が登場していたらいいな、という願望。そしてそれは、「キミ」が夢を見たいと思う対象として他でもない「ボク」を選んでいてくれたらいいな、という願いでもあると思うんです。

 ただ、どんな夢を見ているのか実際はわからない。だから、会ってしまえたらいいのに、と思うのではないでしょうか。

 でも、続くのは「もしもボクに魔法がつかえたなら」という歌詞。「もしも」は現実になっていないことを仮定するときに使う言葉です。「ボク」は魔法なんて使えないし、夜空を越えて「キミ」に会いにいくこともできないとわかっているんですよね。

 

 こんなふうに、わかっていることばかりだった彼らにも、唯一わからないことがある。それが、「キミ」の心なんです。だから!!!!切ない!!!!

 どれだけ時がたっても、どれだけ年を重ねても守り続けるし、「キミ」が想う以上に「ボク」は「キミ」を想っている。でも、「キミ」が恋の魔法に気付いてしまうときはやってくるし、今だって「キミ」の心はわからない。ちらっと見える不安が!!!!切ない!!!!

 でも、基本的に「キミ」への想いを歌ってくれているんですよね。不安だって、「キミ」を想うがゆえのもの。健気!!!!!

 変わるもの/変わりうるものと、変わらないもの。そんな対比が切なさを感じさせる理由かもしれません。

 

 

4.おしまいに

 アイドルとファンの関係性は、「追われる立場/追う立場」と捉えられがちです。実際そうだと思います。コンサート会場へ足を運ぶのはファンだし、雑誌やCDを買うのもファン。便せんを買い時間を費やして書いたファンレターを送っても、返信が必ず届くわけではありません。それでも、好きだから、彼らの姿を見たいからという一心で、応援し、動くわけです。

 でも、その気持ちだって無限に湧き出てくるわけではありません。他に夢中になるものが出来たり、他に好きな人が現れたり、なんとなく興味を持てなくなったり、応援をやめるきっかけはそこら中に転がっています。期限も限界も、いつだってやってくる可能性があります。追われる立場/追う立場が逆転することはないので、仕方のないことです。

 アイドルがこうしたことに無自覚だとは思っていません。むしろ、ファンの人数や評価などは売上などにつながり、ひいては彼らの生活にもつながるわけですから、ファンの私たちが想像する以上に意識しているでしょう。

 

 ただ、気持ちが移ろいをわかっていると示すこと、その上で「みんなの喜ぶ顔を見ていたいから、ぼくたちがみんなのことを守り続ける。いつまでも、いくつになってもみんなの王子でいる」とデビュー曲で歌うことは、勇気のいることだと思ったんです。

 何年か前にシンメ論を書いたとき、文中で「アイドルは偶像としての自我を形成して、もう一人の自分を作る」と仮定したのですが、それってすごくしんどいことですよね。一人の人間としての自分とアイドルとしての自分。演じるためのエネルギーは大きいですし、どっちが本当かわからなくなることもあるんだろうなと。

 だから、今アイドルでいる人はすごいし、アイドルを続けている人はもっとすごいし、今はアイドルじゃない、そしてこれからアイドルを辞める人だって、すごい。

 キンプリがファンに対し「いつまでも、いくつになっても王子でいる」とファンなどに対して”永遠”を誓うことは、自分たちが”永遠に”アイドルでいるとこの先の人生を決定づけることでもあります。ファンは変わってしまうかもしれないけど、自分たちは変わらない。それを、彼らの名刺になるデビュー曲で歌っていることがすごいですし、決意の固さを感じさせます。

 すでに彼らのファンである人も、これからファンになる人も幸せにしてくれる曲ですね。100万枚買いたい。

 

 ゆるゆる考察が長くなってしまいましたが、キンプリの「シンデレラガール」は本当に最高の一曲です!こうしてブログを書いてみて、さらに好きな曲になりました。なおキンプリ担ではありませんが、「シンデレラガールが最高すぎる」という一心で、引用等も含め約1万字書いてしまいました。曲の持つ魔力が恐ろしい。

 「シンデレラガール」は5月23日発売です!ぜひご購入を!!!!!!

シンデレラガール - King & Prince